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自分の本当の声(デカルトが唱えた自分)

本当の自分とは不浄の池に咲く蓮の花の如し

[自分の声] ブログ村キーワード

前記事:自分とは何か

自分を探す旅から始まるシリーズも今回で3回目となります。

自分の内側にある本当の声とは何でしょうか。

ここまで、インド哲学から始まり、釈迦の捉えた境地の一部をご紹介してきましたが、今回は、自分の内側が語る本当の声を探りに、近代文明への足がかりをつくった科学的哲人・デカルトの提言を元に書かせていただこうと思います。

デカルトは近代科学の親


自分の本当の声の主をデカルトはコギトと名付けた
ルネ・デカルトという人は、近代科学の礎となった近代合理主義の祖とも言われる人で、有名な発言に、

『我思う故に我あり』

という言葉があります。

心身二元論の提唱者


日本でも心身二元論の影響は解剖学からあらわれた
近代科学では、物の本質を知るには、計算と実測が大切だと捉えられており、その為には実態を知るための細分化が重視されるようになりました。

人を例に言うなら、皮膚、筋肉、臓器、骨格、毛髪、感覚器官、神経、血管などの大きな分類の次に、それぞれの細胞の中身に入るという具合です。

人はこの研究の先に、きっと人間の本質がわかると夢を見ました。

この考え方は16~17世紀以降の話であり、何億年もある人類の歴史の中で、実はまだ数百年しか経っていない、現代限定の考え方でもあります。

ヒトゲノムの解析が終わっても自分が存在する意味はわからなかった
しかし、現代にある結果から言えば、細胞の中心にあるDNA(ヒトゲノム)の分析が完了したにも関わらず、人間の本質を完全に理解することはできていないというのが実際でもありますが、この当時から、人の心と身体は別だという考え方が、一つの潮流を生んでいきました。

ある意味、宗教と占術を中心に数千年という時を経ても解決されない自分という存在への答えを、人は新しく生まれた科学という存在に夢を見たと言えるのかもしれません。

デカルトはその心身二元論の生みの親であり、身体は科学的研究によって実測できるが、心はその研究によってわかるものではないという立場をとりました。

デカルトが心を軽視したという説は嘘


多くのスピリチュアリスト達が、心身を分けたデカルトを敵視していることを聞きますが、おそらくそれは少し勘違いをしています。

デカルトの言説を読み解いていくと、実際には、心は身体よりも尊いもので、当時の科学では捉えられないことを説いていたのであって、決して身体を重視して、心を無視したのではないのです。

単に当時の科学的限界から、心と身体を一旦別々に研究することとしただけにすぎません。
(出典:モリス・バーマン著「デカルトからベイトソンへ」より)

デカルトの読み解いた自分「コギト」


五感
デカルトは意志について、実測的な探求を怠らなかった科学的な哲人です。

彼が五感と自分を関連させて洞察した内容は次のようでした。(筆者による超訳です)

「私が目を失い、この世界が見えなくなったとしても、この世界を感じることはできる。つまり私の存在と視覚は関係がない。次に耳も失い、音も聞こえなくなったとしても、この世界を感じることはできる。つまり私の存在と聴覚も関係はない。鼻も失い、匂いを感じることができなくなったとしても、この世界を感じることはできる。つまり感じている以上、私の存在は鼻とも関係がない。最後に身体の感覚を失ってしまっても、私の意志が存在することに変わりはない。だとすると、あらゆる感覚を失ったとしても、私は存在する。観察、評価、批判する自分を失うことはできない。この正体を私はコギトと名付けよう。」

コギトこそ自分の正体


デカルトが言ったコギト(省察・概要)に関する原文の和訳は以下の通りです。

「自らに固有の自由を使用しつつ、いさかかなりともその存在について疑うことのできるものはすべて存在しないと想定する精神は、その際自らが存在しないことはあり得ないと気づく」
(出典:横浜国立大学人文紀要. 第一類, 哲学・社会科学 宮崎隆著「デカルトにおけるコギトと意志」より)

つまり、存在を疑うものを全て否定したとしても、その疑っている自分を失うことはできないと言ったわけで、その疑いの持ち主をコギトと名付けたようです。

コギトとは、ラテン語の自己意識を意味する言葉です。

彼は自己意識の正体を疑いの目としての観察者(観照者)だと捉えたようです。

筆者はコギトのことを、存在がハッキリとあるような(真我)、逆に単なる批判的な空なる存在のような(無我)、インド哲学で言うところの梵我一如のような存在に感じます。(※前記事「自分とは何か」参照)

自分の本当の声とは何か



では、最初の命題に戻って、自分の本当の声とは何なのでしょうか。

筆者はこのコギトの言説をまんざら、トンデモ理論とは思っていません。

日々、心理カウンセリングをしていると、お客様のコミュニケーションによって、このコギトのようなものが、本人の周囲や社会についての批判を表現してきます。

『多くの人はそう言っている。しかし、私には本当にそうだとは思えない。』

こういった表現を聞くと、筆者は本人を感じることができた気がしますし、その声に従って、本人の人生が進んでいくように支援します。

批判的な心は、自分のネガティブな側面だとは言い切れません。

自分自身の持つ、自分特有の価値観を知らせる大切な意志なのです。

自分の奥底に眠る、自分の本当の声

それを否定して生きる必要はありません。

自分の内側にある声は、自分が本当に輝く道を教えているのだと、筆者は思います。

次回はその後の歴史に登場してくる『心理学』が捉えた自分について、心理学の祖・フロイトという精神分析学者の説を紹介させていただきます。




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